本当の貧しさとは

数年前にテレビで放映されていた某ドラマで、
「古代ローマにおける奴隷の定義とは自分の運命を自分で決められない者だった」というセリフを聞きました。

ケビン・ベイルズさんという大学教授の方の著書、『グローバル経済と現代奴隷制』の中には
「奴隷制とは、経済的搾取を目的として、一人の人間が別の人間を完全に支配することである」という記述があります。

もしかしたら労働基準法違反に泣き寝入りしながら愚痴をこぼしつつ、自由な時間すらむしり取られて働いている労働者は、奴隷に近い存在なのではないか・・・そんな風に思えてきませんか?

お金のために魂を売る?

現代社会で働いていくには、確かにある程度のガマン、忍耐が必要です。

自分のミスではないと思えるような状況で責任を問われたり、一生懸命働いているにも関わらず評価されなかったり、ちょっとそれおかしいんじゃないの?という会社の経営方針に従わなければならなかったり・・・本当に色々な場面でストレスを感じることでしょう。

しかし人間性を否定されたり、仕事上のストレスによってプライベートな生活の質まで低下したり、体を壊したりまでしてするガマンなんて本当に必要なんでしょうか?

何があっても言いなり、泣き寝入りでは奴隷と同じになってしまいます。

会社にはとても不満があり、時として不法な扱いも受けている。でも、給料が無ければ食べていけないし会社をやめたら再就職出来るかどうかもわからない。

例え自分の仲間が不当な扱いを受けていても、それに反発するような態度を取ったら自分の身もあぶないから動けない。

とにかくなにを言われてもガマンして働くしかない。食べていくためには仕方が無い・・・
こんな風に魂を切り売りする働き方は、まさに給料のための奴隷のようです。

奴隷心理を捨てよう

全てが思い通りになんてならない、いや自分の意志で思い通りになることなんて本当に一部の事だけだとは思いますが、例え経済的に弱い立場であっても最低限の権利を主張して自分自身の身を守る権利くらいはあるはずです。

上司・会社の命令だから、みんなが従っているから、自分にはどうしようもない、何も出来ないといった先入観を捨てましょう。

労働者は給料のための奴隷ではありません。
たまたま契約上労働を請け負って賃金をもらう立場にあるだけで、人間性まで否定される理由なんてどこにも無いはずです。

一人一人の労働者が正しく権利を主張し、労働基準法違反を断固として許さないという姿勢を示すことこそ、社会に蔓延している違法行為に立ち向かう唯一の方法なのではないでしょうか?

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